保護責任者がいる子どもに貧困のワードを当てて事象を見ることに違和感ないのだろうか

ネット記事感想

子どもの貧困、内閣府「初の全国調査」で見えた悲痛な実態

東洋経済オンラインより

これがわからない

教育格差が生まれているのは分かるし社会問題とすべきだろうことも伝わる

けれど

そもそも守られるべき存在そのものが然も独立しているかのような「子どもの貧困」ってワードがいまいち腑に落ちない


子どもは国の将来にとっても貴重な存在であり国の宝である

それは当然でしょう

しかし資本主義を唱える以上は見えていた実情でもあります

てか昔っからあったでしょう

それこそ給食費ですら払えない家庭だってあった

友人が使っていたようなゲームも与えられない家庭もあった

塾にも行けず進学も諦める家庭もあった

だがそれらは全て子どもが自ら働いて得た収入で整えた環境でも何でもない

親ないしは親代わりの保護責任者が子を育む課程で与えたものであろう

子どもは子どもであり

貧困を引き起こしているのはその家庭環境にある

なら焦点とすべきワードは「子持ち家庭の貧困」でしょう

てのがワードだけ見た時のいつものもやもやでした



さて

今回の記事の中には”今回は子どもだけでなく保護者にも焦点を対象としたこと”と書かれていますが

返って言うと今まで子ども単体で見ていたとか本末転倒甚だしいことしてたのを理解してしまってちょっと引いた

続けるように”親が貧しくて子どもだけが豊かだったり、その逆もまた考えにくい。子どもの貧困は、家庭の状況と密接に結び付いていること”って書かれているけど

家庭は裕福な生活しているのに被保護者である子どもにお金かけられてないならそれはただの児童虐待でしょう

問題が別ですよ

何より前者の親が貧しくても子どもだけが豊かってそれは子どものために身を削ってまで育ててくれる親の愛の一つの形があり得るのに何言ってんだろうか

その自らの状況をしっかりと背負う覚悟を親が見せてることに何を言うことがありましょう

あーけど後者の状況を社会問題として定義しようってことなのかな

社会問題として定義できるくらいに今の社会が成熟してきましたとか?

んーーー

覚悟と義務を果たしている家庭までひと括りにしているとかならそれはそれで一側面的な冒涜では?



こほん

貧困の連鎖断ち切るなら明確に社会主義として助けますと資本主義への明確な決別を言ってしまっていいと思いますがね

格差をなるべく生まずに保障を充実した結果が莫大な税金投入される社会保障費でしょう

現政権は新しい資本主義の形をお題目としてくれていますが格差なくすなら資本主義の取り消しですよね

子どもを育てるって大前提があるのにその覚悟をもって生活することがない層までを支える社会でもあります

個人の自由を尊重するからこそ貧困してでも子育てを選ぶのも尊重されるべきや

子どもは国の宝である以上は皆で負担し守り育てるべきなど

いろんな意見も出るでしょう


それらが出ようとも政府がどこに着地点を求めるか

成人式をただのお祭りとしてでしか次代の子たちに継げず

覚悟と責任それに義務を全うすることを是とする国民教育ができていない政府の敗北でもありましょう

教育は国家百年の計とは常々言われていましたが

昭和平成令和と計百年過ぎてきても次の百年を見据えた戦略の第一は唱えるだけの少子化対策のみ

政府は先ず失敗をしていることをしっかりと認識した上で次世代戦略を立ててみるのも面白いのではないでしょうか





てか共働きも当たり前になるから金銭的な部分だけが貧困とは言わない的な

親や周りの人と過ごす時間がなくなることから起きる将来人格形成とそれに伴う社会的損失的な話は今回と違うからツッコまなかったけど

その面に関してはそれこそ古き良き互助会の復活でしょう

地域全体でみんな揃ってってあれですね

隣近所の助け合いがどうたらこうたら系のあれら

大きいコミュニティではなく小コミュニティの形成が一番手っ取り早いでしょうけどそれをやだと言って断ち切りだしたのも現代の結果です

子どもを取り巻く環境についてどう捉えるべきでしょうね

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